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【レジェンドの素顔9】ミスもするがエースも取る。テニス界に変化をもたらした男、ジミー・コナーズ│前編<SMASH>

2022.08.11|18:37|投稿者: スマッシュ編集部
【レジェンドの素顔9】ミスもするがエースも取る。テニス界に変化をもたらした男、ジミー・コナーズ│前編<SMASH>

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。今回からはジミー・コナーズを取り上げる。

 オーソドックステニスの模範とまで言われたケン・ローズウォールを完全に打ち破ることで、ジミー・コナーズは、スピードテニスの時代をもたらした。コナーズの敷いたレールの上を、ボルグが、マッケンローが、レンドルが走り、テニス界に黄金期が到来したのだ。コナーズが34歳の時、成績は年々下降線をたどり、引退もささやかれていた。この時期、コナーズは何を考えていたのだろうか。

◆  ◆  ◆

オレも歳をとったということさ

 この頃、コナーズはしきりとあのときのローズウォールの姿を思い出す。
 時は13年も前のウインブルドン・センターコート――。

 表彰式を終えて、先にロッカールームに戻るローズウォールのうしろ姿は、今にも丸まってしまいそうなくらい小さく見えた。しかし、あのときのコナーズは、ローズウォールの心中まで察することはできなかった。ローズウォールがどんなに淋しい思いでいたか。

「今なら、わかる。それだけオレも歳をとったということさ。でも、この13年間は長かったのか、短かったのか―――」。コナーズの心中は複雑だ。
  老醜という言葉がある。13年前、コナーズの眼から見たローズウォールは老醜以外の何物でもなかった。今でもはっきり覚えている。1974年、ウインブルドンで決勝の相手がローズウォールと決まったときは、笑いが止まらなかった。どう逆立ちしても、負ける相手ではないと心底から思えた。

 もちろん、ローズウォールの輝かしい戦績を、軽視したわけではなかった。特に、正確無比なバックハンドストロークは”テニスが初めて生んだ芸術品”とまで言われていたことも知っていた。

 しかし、どんなスポーツにも“勢い”というものがある。コナーズ21歳、ローズウォール39歳。どちらに“勢い”があるかは誰の眼にも明らかだった。事実、決勝戦は一方的になった。一方的という表現で言い足りなければ、絶望的とまで言い直した方がいいくらいだった。もし、テニスにもボクシングと同じようなルールがあったのなら、第1セットを終わった時点で、ローズウォール側は“ギブアップ”のタオルを投げ込むべきだっただろう。
  象徴的な例を一つ紹介しよう。ローズウォールのサービスは、エースを取れるほど威力はなかったが、プレースメントが完璧だった。コーナーを深く突いて相手を苦しめる。上背のない(170センチ前後)ローズウォールにとっては、それが最良の策だった。

 そのサービスを、コナーズはことごとくリターンエースで仕留めた。呆然と見送るローズウォール。なす術がないといった顔付きだ。コナーズは、さも当たり前のように表情一つ変えない。万事がこの調子だった。

 6-1、6-1、6-4。スコア以上に、両者の質量の差というものを思い知らされた試合だった。丹念にプレースメントを工夫しながらゲームを組み立てようとするローズウォールに対し、コナーズは持ち前のパワーを発揮して一発でケリをつけた。

 両者は2か月後の全米オープン決勝で再び顔を合わせた。もう、ローズウォールの雪辱を期待する人など、ほとんどいなかった。せめて、ローズウォールが恥ずかしくない試合をしてくれることを祈るのみであった。しかし、結果は、さらにひどいものになった。
 
 6-1、6-0、6-1。

 汗一つかいていないコナーズに対して、ローズウォールの方は、精も根も尽き果てたという感じだった。全米決勝100余年の歴史の中で、これほど大差のついた試合は他に一度もない。ローズウォールが引退を決意するはずである。
 ミスもするがエースも取る強打

 1974年に全豪、ウインブルドン、全米を制して、一躍、テニス界の寵児となったコナーズ。テニス協会とのトラブルでフレンチ・オープンには出場できなかったが、もし出ていれば、バッジ、レーバーに続く男子3人目のグランドスラムも間違いなかっただろう。

 また、この年は20大会で16回の優勝を達成。100戦以上も消化しながら、たった4回しか負けていない。

 コナーズは強いだけではなかった。テニス界の流れを一変させるほどの強い影響力を持っていた。
  プレースタイルを例に挙げよう。コナーズは一球ごとに気合を入れ、常に思いっ切りボールを強打した。相手に息もつかせないほどだ。特に、誰もが目を見張ったのは、コナーズの強打ぶりだった。つまり“フルスイング打法”だ。

 コナーズよりパワーのあるプレーヤーはいくらでもいた。しかし、コナーズほど、どんなボールでもフルスイングするプレーヤーはいなかった。その快感に観客は酔った。

 それまでのプレースタイルというのは、ジャック・クレーマーに代表されるような“パーセンテージテニス”が主流だった。つまり確率を重視し、プレースメントやゲームの組み立てをテニスの基本に置いたのだ。ローズウォールしかりだ。

 しかし、コナーズは違った。ミスをする確率は高いとしても、それ以上の確率でエースを取れるならば、積極的に強打すべきだとコナーズは考えた。

 ミスもするがエースも取る。

 それがコナーズのテニスだった。単純明快であり、何よりもゲームがスピーディになって、おもしろい。観客は大喜びして、コナーズの試合にかけつけた。
  ある統計によると、1974年の1年間だけでアメリカのテニス人口は50%以上も伸びたという。その数、3000万人以上。

 キング夫人とボビー・リッグスの世紀の異性対決やクリス・エバート人気も引き金にはなったが、なんといっても最大の原動力は、コナーズのプレーそのものであった。

 さらに、コナーズのラケットも大いに注目の的になった。彼は当時まだ少なかったスティール製を使っていた。ウッドしか知らない人たちにとって、これは大きな驚きだった。

 そして、コナーズに続こうとする者は、こぞってスティール製を使い出した。スティール製ラケットを普及させる上で、コナーズが担った役割は実に大きかったのである。

 スティールが先がけとなったラケットの素材改良も、その後はグラファイト、ケブラーへと移った。それでも、コナーズはガンとしてスティール製ラケットを手放そうとはしなかった。ラケット一つを取っても、コナーズという男がよくわかる。

~~続く~~

文●立原修造
※スマッシュ1987年4月号から抜粋・再編集

【PHOTO】ボルグ、コナーズ、エドバーグetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
 

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